私と子供の自己肯定感
自己肯定感って、昨今子育てしてたらキーワードみたいに語られる言葉。
ようやく最近になって、何となく意味がわかってきた気がする。
「自分ってすごい」「自分が好き!」「何でもやれそうな気がする」
とかいうことじゃなくて。
「私ってアホだわ」「何でこんなことで凹むんだろ」「こんなこともできないなんて」「私は何の役にも立たないんだなー」
…というネガティブな思いもすべて、「そーなんよね、困っちゃうんよね」と、とりあえずさらりと受け止められること。
自分を外から眺められる、というか。
私の自己肯定感は、たぶん人より低い。
なぜか?人のせいにしたくないけど、やっぱり親の影響は大きかったと思う。
1番子供に言ってはいけないこと、それは、「人格を否定する言葉」。
子供の行動や言動に対して怒るのは、まだいい。
でもそのとき、グズだとか融通が効かないやつだとか、アンタはいつもそうだとか、子供そのものを否定してはいけない、ということ。
こういう言葉を度々向けられると、子供は自信をなくしていく。
どうせ私なんか…僕なんか…
私も例外なく、こうした思いに囚われたまま、ずーっと生きてきたような気がする。
特に中学生の思春期真っ最中の頃は、そんなにしょうもない子供なら産まなければよかったし、何なら殺してしまえばいいのにと、今思えば内側荒れてたなぁ。
別に虐待されていたわけではないし、経済的につらい思いをさせられたわけでもないのだけど。
大人になって、普通に生活ができるようになると少し自信もついて、ある程度はごまかして平穏にすごす術を覚えた。
でも、ふとしたときに顔を出してしまう。仕事で失敗をしたときなど、自分のポンコツさを思い知ったとき。
「どうせ私なんか…」
そうなったら、それを自分自身が受け止めきれないもんだから、なかなか抜け出せない。
私だけでなく、日本人にはこんな人が多いのような気がする。
でも最近、“そんなの見方ひとつ”だと、やっとわかってきた。
第一、人と自分は違う。比べて凹んでもしかたない。その人にしかわからない苦労や悩みも、きっとある。
能力の差も、あるんだからしかたない。それでも私は私で、生きていくしかない。
線を引かないと、いけなかったんだな。
いつも、できる(ように見える)人を自分と同じところに並べていた。だから嫉妬して落ち込んでしまう。違うんだ。人はひとりとして同じところにはいない。
そして…できない一面があっても、それが私。それが事実。
ぼーっとした人間で、気遣いに欠けた人間でも、もしかしたら、そのことが誰かを安心させてるかもしれないし。
やっと、こんなふうに自分を外から見ることが、できるようになってきた。一進一退、少しずつではあるけど。
もし、親からあまり自分自身を否定されなかったら、もっと早く、何なら小さい頃からこう思えたのか、それともやっぱり親の影響は大きかったのか、それはわからない。
あと、全てでなくても親のせいにする自分も情けない。もう少し早く気づいて、自分で修正できたのではないか。
でも、私にとっては子供の頃、そうやって否定された場面が今でも記憶から消えないし、どうしてもそう考えてしまう。
なので、子供には、どんなにキレても人格そのものを否定しないようにしている。
いやいや、まずキレるのをやめなさいって話なんだけどねぇ…