とにかく面倒くさがりです
私は、前々から薄々思ってたんだけど、めちゃくちゃ面倒くさがり。
やっと自分で認められた。自己肯定感身に付いとる!
いーんだよ、面倒くさがりでも。
紛れもなくそれが私だし、そんな私が確かに存在しているのも事実だし。
家事もほとんどが面倒くさい。
だからなるべく手早く終わらせられるよう、配置や手順を考えるのが、楽しかったりする。そういう意味では、悩まずにすむように道具は少ない方がいいから、断捨離やミニマリストにも興味がある。掃除もしやすいし。
掃除は、毎週末(毎日じゃないよ)やるなんて決まりは私の中でなくした(笑)
ちっと埃がたまってるくらいで、死にはしない。気になるときに、ガガッと掃除機かける。それでよし!
やってみたいこともちょこちょこあるんだけど、面倒くさくて途中でやめてしまう。
というか途中までも行かなくて、やってみようと思って材料買い揃えて、…それでそのまま止まってたり。もはや始めてもないやんか!
でも最近、それでもいいかなと思っている。
きっと、いつかもう一回私の中でブームが来て、そのときは材料揃ってるからもう少し面倒なく始められるはず(笑)
面倒くさい、を乗り越えてやりたいと思えることを、日々探している。
きれいに揃って素敵です
小学校の運動会。
とはいえコロナ禍だから、各学年ともかけっことダンスの2種目だけ。
長男は小学校最後だから、やっぱり感慨深い?…うーんどうだろ?
本人にとっては、どうでもいいイベントみたいだったけど😗
とにかく、下の娘2人は楽しみにしてたから、お天気も崩れなくて良かった。
ダンス見てたら、ピシッと揃うことを目標として頑張って練習したことが、よくわかる。
あれ見てると思わず泣きそうになるんだけど、あれは何なのかなとよく思う。感動しとるんかな私は本当に。
ほんとよく頑張ったねと、褒めてあげたくなることは確かなんだけど。
だけど…その、「きれいに揃う」ということに、何の意味があるのかなと、今回はぼんやり考えてしまった。
何かの聞きかじりだけど、日本の教育は軍隊…軍人を育てる方法と未だに変わらない、と。確かに揃うことを目的とすれば、1人1人の個性なんかない方がいいことになる。極端な話だけど。
きっと、こんな練習、苦痛でたまらない子どももいるに違いない。
うちの長男も、どっちかと言えばそのタイプだ。たぶん。
そんな子達は、克服すべき対象ということになる。先生にとって、何とかしないといけない対象、というか。
そう思うとなぁ、何だか…
いや、素直に「すごいねよくやったねー!」って思ったのは確かなんだけど…。
”みんなで頑張ってひとつになった"みたいなことも、いい経験になるのかな。
確かに、学生のときにしか、味わえない経験ではあるかな。大人になったら、そんな機会はほぼ、ない。
楽しめてるならそれでいいか。長男みたいに乗り気になれない子どもも、それはそれで経験ということで。
個性とは?
「個性」って何だろう。
昔、若い頃はよく悩んでた。
周りの友だちは、みんなそれぞれ個性豊かなのに、私はどうして何の特徴もないんだろう…
でもずいぶん大人になってやっとわかった。
個性って、「ある/なし」じゃないんだと。
そもそも、同じ顔をした人はいないし、好きな食べ物も好きな色もみんないろいろ。
その組み合わせで、その人の特徴になる。
その無限の組み合わせそのものが、個性。
当たり前のことなのに、それまでの私はそれがわからなかった。
何も、底抜けに明るい性格だとか、ものすごい運動神経だとか、頭脳明晰さだとか、ゴムゴムの実とかワンフォーオールとか、そんなすごいものだけが、個性なのではなくて。
それは個性のうち、特長とか特技とか言うごく一部のものだと思う。
自分はどんな性格で、どんなときに幸せを感じるか、
自分はどんなことが好きで、何をやってみたいか。
これを大事にすることで、「個性」は豊かになっていく。
中学生の頃、友達に「あなたってさ、自分の色ってのがないでしょ」といわれたことがある。
…今思うと本当にすごい、中学生でこんなことが言えるなんて。
でも当時の私は落ち込んでしまった。
別にその友達も、傷つけたくて言ったわけではないと思う。
彼女は、とても強い芯を持っていたけど、学校に行けなくなった時期もあった。きっと感性がものすごい豊かで、悩みも人一倍多かったんじゃないかなと思う。
だからきっと、ただの感想だったんだと思う、私に対しての。
振り返れば、このとき「そうなんよね私、全然特徴がないんよー」と素直に言えれば良かった。
こう言える、捉えることができる力が自己肯定感だと思う。
肯定感というけど、できてないことを肯定しなくてもよくて、ただ「そーなのー」と、認めるだけ。
まぁだけど、思春期ど真ん中の中学生には、難しかったな(笑)
優しい気持ち
いつか家族で山登りに行ったとき。
眺めのいい頂上でのお昼ごはん。
だけどそこは大きな岩がゴツゴツしてた。
私の座っているところのすぐ横に、座りやすそうな平らな岩があったから、近くにいた娘(長女)に「ここ座ったら?」と言った。
そしたら、「そこは○○(次女)が座るから」と言って、彼女は別の岩を探して、そこに座った。
おかーさんはひそかに感動した。
こういうところ、本当に優しいしすごいなと思う。
後から来た、いつも私の横に座りたがる次女に、「そこ空けといてやったからね」みたいなことも言わないし。
小さいけれど、私が気づかなきゃ、誰も気づかない優しい気持ち。
優しさだけで生きていくことはできないし、幸せになれるわけでもないけど、少なくともこんなふうに誰かを幸せな気持ちにする。
子ども達を見ていると、きっと人は優しい気持ちを持って生まれて来るんだろうなと思う。
だけど生きていく中で、奥底にある優しい気持ちを忘れてしまう。たぶん、厳しい環境にいればいるほど。そして、弱い人ほど。
私も弱い人間だ。か弱いという意味ではなく。
だからこそ、優しい気持ちを引っぱりだせないほど疲れた日々を送るのは、何だか間違っている気がする。
何も毎日重労働してるわけでもないのになぁ。
時間の使い方が下手なのと、体力ないのと、面倒くさがりなのと。。
ともあれ、娘の優しい気持ちにあたたかくなった、山登りでした。
お天気も良かったし。
足はその後1週間ほど筋肉痛で、子ども達にバカにされたけども😅
1番大切にしたいこと
私には、小学生の子供が3人。
みんな同じお腹から生まれてきたよね?と思うほど、それぞれ全然違う。
毎日と言っていいほどキレまくりで、子育てなんか語る資格はない。でも、
子供に何より伝えたいことがある。
それは、
人生で1番大切なのは、好きなことを見つけること
せっかく生まれてきたこの世界。
どうせ、みんな100年もたたずに死んでしまう。
いろんなことをやってみて、好きなことをたくさん見つけてほしい。
つらいときでも、好きなことがあれば乗り切っていけるかも、と思うから。
それは学校の成績がいいことより大切…というか幸運なことだと思っている。
私自身は、そんなこと考えることもなく、この歳まで生きてきてしまった。
もったいなかったと思う。
自分の中の何となくの常識?や、回りからの何となくの期待?みたいなものに勝手に縛られてないで、もっと自分の好きなこと、やってみたいことを探せばよかった。
だけど…少なくとも今気づけてよかったと思って、これから「好きなこと」を探したいと思う。
あと、もうひとつ子供に伝えたいこと。
それは、
人と自分は違う
ということ。
違っていていい。そもそも人間平等なんかじゃない。才能や、家庭環境も含めて。
きょうだいゲンカを見ていると、「自分の思う正しさ」を振り回していることがよくある。
あとは…もういい!と、全部投げ出してしまったり。
まだ幼いのだから、しかたないところもあると思う。でも。
自分がされて嫌なことはやらない、とよく言うけど、自分は大丈夫でも相手は嫌なことかもしれない、って想像することが大事だと思う。だって違う人間だから。
相手はもしかしてこう思ってるかもしれない、と、想像してほしい。
あと、相手が大切にしているものは、自分の考えに関係なく、大事にすること。
ケンカもたくさんして、自分の気持ちも、相手の気持ちも納得できる、Win-Winの着地点を探せるようになってほしいなと思う。
…と子供達に、教えたい毎回本当は!でも実際はねぇ…そんないろいろ考える余裕なく、ブチ切れちゃうよねぇ(ははは)