あおまる3210のブログ

ヨレヨレ子育てと、ゆるゆるアウトドア

宇宙の果てと、死んだあと

宇宙の果てに思いを巡らすことと、自分が死んだあとのことを想像するのは、どちらも自分の足元が揺らぐような、自分の姿が薄れるような感覚になるところが似ている。

 

宇宙は、どうなっている?

太陽系の外の銀河系の外の、銀河系の集まりの外、どこまで外側があるのだろう。

本当に永遠に外側があるんだろうか。ないのなら、どこまで広がっているのだろう。

そこは白い?どんな色?

昔父親が、空に向かって一直線に進んで宇宙に飛び出し、そのままずっとずーーっとどこまでも進んだら、いつか今いるこの場所に戻ってくるんじゃないのと言ってた。

もうずいぶん昔に死んでいて会えないけど、父も何となくそんなことを考えていたんだな、と。

宇宙には本当に、永遠に外側があるのか。

それすらわからないのに、普通に生活していることが滑稽に思えたりする。

この生活は、たまたま地球という星に生まれた生物が、たまたまそこにある物質を使って、生きているにすぎない。

たかだか100年足らずで死んでいくのに、人間関係で悩んでみたり、戦争してみたり、遠いところにいる宇宙人は、アホらしと見ているかもしれない。

自分が地球に生きていることは、宇宙から見たらほんの一瞬の偶然。

 

そして自分が死んだら。

日々の生活の中で、私が私であること、自分の意識そのものに疑問を持つことはない。

けれどこの意識は、生まれる前には存在しないものだったし、死んだら消滅してしまうもの。

昔からそれがとても不思議だ。

今、こんなにはっきりと間違いなく存在しているのに、いつか消えるのだ。

怖いとか悲しいとか、虚しいとかじゃなくて、ただ不思議。

肉体が滅びても意識は残って、別の人間に生まれ変わる…なんてのは、あるのかもしれないけど、そもそも私にそんな記憶なんてないから、あまり納得できない。

アリが理由もなく一瞬で踏み潰されてしまうように、人間も死んだらそこまで。ただ、それだけなのだと思う。

死ぬ感覚は、眠りにつくみたいな感じかなと想像している。

お布団に入って眠るみたいに平和的だといいけど、実際は病気や怪我で壮絶に苦しんだり、熊に食われたり、人に殺されたり。

可能性はいろいろあって、痛いとか苦しい思いをするのかもしれない。それでも死んだ瞬間、眠ったような、安らかな気分になれるような気がしている。

別に今死にたいわけではなく、死ぬことはもちろん怖い。

でも一方で、「みんないつかは死ぬ」という事実と、“永遠の眠り”につく時安らかな気持ちになるだろうことは、わずかだけど安心感をもたらしてくれるような気がする。

 

それは、私という人間が全く認識できないほど広い、宇宙の果てを思うときの安心感と似ていると思う。