宇宙の果てと、死んだあと
宇宙の果てに思いを巡らすことと、自分が死んだあとのことを想像するのは、どちらも自分の足元が揺らぐような、自分の姿が薄れるような感覚になるところが似ている。
宇宙は、どうなっている?
太陽系の外の銀河系の外の、銀河系の集まりの外、どこまで外側があるのだろう。
本当に永遠に外側があるんだろうか。ないのなら、どこまで広がっているのだろう。
そこは白い?どんな色?
昔父親が、空に向かって一直線に進んで宇宙に飛び出し、そのままずっとずーーっとどこまでも進んだら、いつか今いるこの場所に戻ってくるんじゃないのと言ってた。
もうずいぶん昔に死んでいて会えないけど、父も何となくそんなことを考えていたんだな、と。
宇宙には本当に、永遠に外側があるのか。
それすらわからないのに、普通に生活していることが滑稽に思えたりする。
この生活は、たまたま地球という星に生まれた生物が、たまたまそこにある物質を使って、生きているにすぎない。
たかだか100年足らずで死んでいくのに、人間関係で悩んでみたり、戦争してみたり、遠いところにいる宇宙人は、アホらしと見ているかもしれない。
自分が地球に生きていることは、宇宙から見たらほんの一瞬の偶然。
そして自分が死んだら。
日々の生活の中で、私が私であること、自分の意識そのものに疑問を持つことはない。
けれどこの意識は、生まれる前には存在しないものだったし、死んだら消滅してしまうもの。
昔からそれがとても不思議だ。
今、こんなにはっきりと間違いなく存在しているのに、いつか消えるのだ。
怖いとか悲しいとか、虚しいとかじゃなくて、ただ不思議。
肉体が滅びても意識は残って、別の人間に生まれ変わる…なんてのは、あるのかもしれないけど、そもそも私にそんな記憶なんてないから、あまり納得できない。
アリが理由もなく一瞬で踏み潰されてしまうように、人間も死んだらそこまで。ただ、それだけなのだと思う。
死ぬ感覚は、眠りにつくみたいな感じかなと想像している。
お布団に入って眠るみたいに平和的だといいけど、実際は病気や怪我で壮絶に苦しんだり、熊に食われたり、人に殺されたり。
可能性はいろいろあって、痛いとか苦しい思いをするのかもしれない。それでも死んだ瞬間、眠ったような、安らかな気分になれるような気がしている。
別に今死にたいわけではなく、死ぬことはもちろん怖い。
でも一方で、「みんないつかは死ぬ」という事実と、“永遠の眠り”につく時安らかな気持ちになるだろうことは、わずかだけど安心感をもたらしてくれるような気がする。
それは、私という人間が全く認識できないほど広い、宇宙の果てを思うときの安心感と似ていると思う。